【日本スタッフ】私が経験した海外留学経験談①〜渡航して苦労したこと〜

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こんにちは。
ユーロプラスの日本スタッフの櫛山です。

今回は、自分が経験した海外留学について、紹介させていただきます。

なぜ海外に行ったのか?

私が海外に行きたいと思ったのは、高校在学中のことです。
当時の留学先といえば、ブラジル・アルゼンチンがほとんどでした。
現代のようにネットの情報も少ない中、毎日のようにサッカー雑誌を開いては、海外行きてー!!って思う日々を過ごしていました。

しかしながら、費用が高校生の僕からしたら、もう破格だったのを覚えています。
留学費用は、費用諸々含めてざっと年間で400-500万円。。。

諦めていた、少年時代。

高校時代は、神奈川県でもベスト64。良くても32。選抜経験もなくプロになるのも難しいものと思っていました。

当時は、Fリーグが始まり、サッカーでなくフットサルでプロに!とも思っていました。
フットサルを始めてみて、たくさんの学びがあったのは間違いありません。
当時20歳の僕に、38歳の選手が一言、

「サッカーから逃げてきたのか?フットサル舐めんな。サッカーで行きたいなら勝負してこい。どこか勝負してきたか?Jリーグトライアルしたか?ただ避けているだけじゃないのか?」

僕の胸に刺さりました。勝負したことがない。挑戦したことがない。
何かを言い訳にして、挑戦してこなかったこと、みなさんも経験ありませんか?
僕も同じでした。

正直、いろんな迷いがありました。

海外への決意〜就職?諦める?フットサル?どうする?〜

たくさん調べて、たくさんの人に相談しました。

どうしたら、チャレンジができる?

サッカー界に残るにはどうしたらいいのか?
18歳からトレーナーの専門学校に入り、サッカー指導もしていました。

何が正解?どうしたらいいの?今、海外を検討しているみなさんも抱いているでしょう。

その時、当時10歳年上の先輩から・・・

「俺には金は作れるが、体力も時間もない。30歳だからな。お前には金はないかもしれないけど、体力も時間もある。今しか世界は見れないぞ。人として経験したいなら今しかない。金は大人になれば絶対に働くことになる。今は親に土下座してでもお金借りて、ゆくゆく返していけ。」

間違いない。俺は海外に勝負しに行こう。
そう確信した21歳の夏でした。

通訳/指導中の私

行き先はイングランド

渡航した先は、イングランド。

FA指導者ライセンスの取得とプレーヤーを目指しました。

目的は、言語と経験。これに尽きました。
それこそ10年前は海外というと”変わり者”が行くところでした
不安はあるけど、この先なんて構わず、絶対やってやるって気持ちだけで挑みました。

親とも「サッカーでうまくいかなくても言語だけは修得する」と、約束。

こうして、僕のイングランド留学はスタートしました。
きっと同じように迷いがある方もたくさんいることでしょう。

やらない後悔より、やる後悔。
同じような境遇の人もたくさんいると思いますが、得しかないです!
ぜひその一歩、迷っているなら相談してください!

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