タイで5シーズンに渡り活躍を続ける日本人GK

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海外で迎える5シーズン目

足でボールを扱うサッカーというスポーツにおいてGKというのは異質な存在だ。唯一手でボールを扱える存在としてピッチの中では特別な役割を担う。

日本でプロになれなかった選手が海外に活躍の場を求める。そんなことが普通になり、近年では世界中のリーグで日本人選手がプレーするようになった。しかしGKに限って言えば川口、川島、権田、林、日本人GKで海外リーグを経験した選手は数える程しかいない。その目線を東南アジアにまで向けたところで極めて少ないというのが現状だろう。

そういった状況の中、和田翔太はGKとして海外で5シーズン目を迎えている。学生時代は試合にも出られずベンチを温め続けた、社会人になってからはJFLなど日本各地のチームを渡り歩きプロになるチャンスをうかがい続けた。そして日本では叶わなかった念願をタイで果たす。Jリーグでは外人GKが活躍し、海外ではなかなか評価されない日本人GK。そんな中、東南アジアに渡りプロ契約、そして様々な経験を経て、プロとして5年目となるシーズンを戦っている。

(写真提供:Chachaensao FC)

何とかプロとしてサッカーで生きていきたかった

朝から夕方まで仕事をこなし、仕事が終わるとグラウンドへと向かう。そんな一日が日本でプレーしていた頃の当たり前の日常だった。それでも、学生時代にJリーグユースや名門サッカー部に所属していたわけでもなかった和田にとってはアマチュア最高峰の舞台JFLは恵まれた環境だった。毎日レベルの高いチームメイトと共に練習し、プロになることを夢見ていた。サッカー選手として給料をもらえるチームに所属していたこともあったが、その給料だけで生活することは叶わなかった。J3がなかった当時、J2かJFLトップの数チームに移籍するしか日本ではその道はなかった。JFL下位に沈むチームでベンチを温める試合が続いていた和田にとって、それはあまりにも難しく思えた。

どうにかしてプロになる夢を叶えたい、そのために何か変える必要がある。そんな思いでいると、雑誌でアジアで活躍する日本人選手のことを目にするようになる。当時、和田は28歳。東南アジアに渡り、そこで活躍する日本人選手がいるということがサッカー関係者の中で知られるようになった頃だった。

『タイでGKを探しているチームがある。契約を取れるかもしれない。』そんな話が急に舞い込んで来た時、和田は既に準備が出来ていた。海外に挑戦するにはどうすれば良いのか、そのためにどんな準備が必要でお金はどれくらい貯めておけば良いだろうか。海外に繋がりをもつ知り合いに相談し、日本でプレーしながらも着実に準備を進めていたのだ。

そして、連絡を取っていた代理人から連絡が届く。和田はすぐにタイに渡った。しかし、『GKを探している』そう聞いて向かったタイのバンコクで最初に見たものは50人を超える外国人だけのトライアウトだった。開幕2週間前に監督が交代したというそのチームには契約を目指す外国人選手が集結し、外国人選手だけのトライアウトが行われていた。

毎日試合形式のトライアウトが行われ、毎日合否が告げられる。そして毎日新たな外国人選手がトライアウトにやって来た。そして1週間ほどのトライアウトが続いた後、和田に合格が告げられる。念願のプロ契約だった。

山あり谷ありのタイでのプロ生活

初のプロ契約は日本では考えられないような内容だったという。Jリーグ並とは言えないものの、日本でサラリーマンをするよりもはるかに良い待遇だった。しかし、結果が出ないチームの中で和田自身も1年目は思ったようなパフォーマンスを出せなかった。シーズンが終了し来シーズンへの契約更新は無し、翌年には新たにチームを探さなければいけなくなった。

2年目に移籍したチームは3部リーグだった。しかしそこでは充実したシーズンを過ごす。待遇こそ下がりはしたものの、チームはプレーオフへ進出。躍進するチームの中で信頼も掴み、プロとして満足できる時間を過ごすことが出来た。しかし契約更新した3年目、チームは経営破綻し給料の未払いが続いた。そして結果が出ない中、和田自身もレンタル移籍で放出されることになってしまう。そして5年目の今年は5人の日本人選手と日本人監督を迎えた新たなチームでGKコーチ、アシスタントコーチ、通訳、選手を兼任するということを経験した。しかしチームは前期を終えて未だ未勝利。外国人選手として、またコーチとして、クラブ首脳陣からの風当たりは強く感じるという。だが、苦しい状況の中でも変わらない物が和田の中にはある。

『同じ物事でも色々な見方があると思います。見方を変えればその状況の中にも他のものが見えてくる。今の状況というのは今まで積み重ねてきた結果がこうなっただけで、その時その時を自分なりに頑張ってきた結果です。何よりその選択を中途半端なものにしたくありません。苦しくなったところで投げ出すようなら、最初からやるべきではないと思っているので。』

タイに渡り、プロとして喜びも苦しみも経験した和田はどんな状況に置かれても自分の姿勢を崩すことはない。それは確固たる信念を自分の中で持っているからだ。

(写真提供:Huahin City FC)

外国人として海外で生き残る

ピッチの中でも外でもコミュニケーションというのは大事な要素だという。仲間とくだらない冗談を言い合ったり、一緒に食事に出かけたりすることもないがしろには出来ない。それが信頼関係を生み、お互いの距離を縮める。そしてそれがピッチの中での信頼にも繋がるのだ。プレーだけでは十分ではない。海外で外国人選手として生き残るために必要なことであれば何でもするという。チームはローカル選手よりも高い給料を払い、言葉もあまり通じない外国人をわざわざ獲得する。外国人選手としてローカル選手とは違う、特別な存在である必要があるのだ。日本ではそんなこと考えたこともなかったが、海外に渡ってからの和田は常にそのことを意識してピッチ内外で振舞っているという。

『人のことを気にしたりなんてしないで、自分のやりたいことをやれば良いと思っています。自分がどうなっていきたいのか、その為に自分で考えて自分を信じて行動すればいい。そしてそれを中途半端にしないことだと思います。』

『GKというのは大抵変わり者。』そんな言葉を聞くことがあるが、和田に関しても例に漏れず変わり者と言っていいだろう。しかし、それは周りが気になって仕方なかったという日本でプレーしていた頃の自分を変える必要があったからだという。プロになるために、海外で活躍するためにどうすればなれるか。そう自問自答を繰り返し、自分で考えプレーと共に変えてきたものだという。そのくらいの強い”自分”がなければピッチ上で最後の砦となる大役を全うすることなど出来ないのかもしれない。まして外国人選手としてそのポジションを任されるにはあって当然の物なのかもしれない。なりたい自分になるために自分で考えて、それを行動に移す。そんな普段からの積み重ねが、運を引き寄せ、道を切り開き、ここまでプレーしてくる原動力にもなってきた。

これから何が起きても和田にはそのチャンスを掴む準備はできている。和田のこれからの活躍に目が離せない。

(写真提供:Shingburi FC)

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